エルコンドルパサー | el condor pasa馬
エルコンドルパサー(1995年3月17日-2002年7月16日)は、アメリカ合衆国で生産され日本で調教された競走馬、のち種牡馬。日本人実業家・渡邊隆による生産所有馬で、1998年に中央競馬(JRA)でデビュー。同年NHKマイルカップとジャパンカップを制し、JRA賞最優秀4歳牡馬に選出される。1999年にはフランスへの長期遠征を行い、サンクルー大賞などに優勝したほか、ヨーロッパ最高峰の競走とされる凱旋門賞で2着の成績を残して引退。同年は日本で走らなかったにもかかわらずJRA年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。通算11戦8勝(う...
エルコンドルパサー(1995年3月17日 - 2002年7月16日)は、アメリカ合衆国で生産され日本で調教された競走馬、のち種牡馬。
日本人実業家・渡邊隆による生産所有馬で、1998年に中央競馬(JRA)でデビュー。同年NHKマイルカップとジャパンカップを制し、JRA賞最優秀4歳牡馬に選出される。1999年にはフランスへの長期遠征を行い、サンクルー大賞などに優勝したほか、ヨーロッパ最高峰の競走とされる凱旋門賞で2着の成績を残して引退。同年は日本で走らなかったにもかかわらずJRA年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。通算11戦8勝(うちフランスで4戦2勝)。インターナショナル・クラシフィケーションによるレート「134」、タイムフォームによるレート「136」は、いずれも2020年時点で日本調教馬についての史上最高数値として保持されている[3]。
2000年より種牡馬となったが、産駒デビュー前の2002年に腸捻転により死亡。遺された3世代からはヴァーミリアン、ソングオブウインド、アロンダイトと3頭のGI優勝馬を輩出した。2014年、JRA顕彰馬に選出。
以下、競走馬時代の馬齢については、日本で2000年まで使用された数え年で、種牡馬時代の馬齢表記は2001年以降に使用されている満年齢で記述。
出生までの経緯[編集]生産者・馬主の渡邊隆は本業の東江運輸を興した父・喜八郎から親子2代の馬主であり、元より血統に造詣が深かった[4]。渡邊はサドラーズウェルズやその全弟のフェアリーキング、ヌレイエフといった世界的な大種牡馬を輩出していたソングの牝系に憧れを抱いており、日頃から外国の血統書やせり名簿に目を通していたが[4]、1992年のある日イギリスのタタソールズセリのせり名簿に載っていた、ソングの曾孫にして父にサドラーズウェルズ、母の父にシアトルスルーを持ち[5]、「ソングの3×4」というクロスを有する牝馬・サドラーズギャルに目を付けた[6][7]。サドラーズギャルは体調不良のためタタソールズセリを欠場してアイルランドの牧場に戻されてしまったが[5]、諦められなかった渡邊はエージェントを介して牧場サイドと交渉を行い、改めて買い取ることに成功[8]。そしてサドラーズギャルをアメリカ・ケンタッキー州のレーン...